双葉山緑地

JR広島駅から少し歩いた所に双葉山緑地があります。

 

小さな山の頂上には仏舎利塔があります。私はこの双葉山の頂上へよく足を運ぶのです。

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広島市内を一望でき、綺麗な夜景を見ることができる穴場スポットです。

この写真は深夜3時ぐらいだったかと思いますが、静寂の中星空を見上げることに没頭していました。現代っ子なので、スマートフォンアプリの星座表を見ながら空と照らし合わせます。

 

その日は4,5時間も頂上におり、なんとも不審者のようでした。しかしその場から、釘付けにされるという表現がぴったりなほどに離れることができませんでした。

 

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そのまま、広島駅から聞こえ始める始発列車の音、うっすらと明るくなってゆく空、雀の囀り、昇ってくる太陽を感じながら1日の始まりを迎えました。

 

社会に出て、荒波に揉まれ数年が経ち、少々心が疲れてきている為でしょうか。日々の喧騒から隔離され心をリラックスさせたい、そんな気持ちで定期的に足を運ぶのかもしれません。

 

ラジオをぶら下げやってくるお婆さんに挨拶を交わしながら日常へと降りていきました。

京都 月讀神社

神話では、伊邪那岐命が黄泉の国から帰還し、禊を行った際に三貴子と呼ばれる天照大神、須佐男命、月讀命が生まれました。

天照大神や須佐男命は数多くのエピソードが神話として語られておりますが、月讀命だけは古事記においては全く語られていません。 

伊邪那岐命より、夜の国を治めよとだけ告げられています。

 

また、月讀命を主祭神として祀っている神社は他2柱と比べ非常に少なく、スポットの当たりにくい神様であります。

 

さて、そんな月讀命を祀っている京都にある「月讀神社」へ参った時の話です。

 

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額束に「月讀大神」と書かれています。

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松尾大社の摂社とされていますが、松尾大社からは5分程度歩いた場所に、木々に囲まれながら位置しています。(松尾大社自体非常に広いのですが。)

 

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境内はあまり広くはなく、人の姿もありませんでした。

社務所と思われる所には人がおり印刷された御朱印を頂くことが出来ましたが、対応頂いた方は珍しげな面持ちをしていました。 

 

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しかし寂れた神社という印象は無く、立派な能舞台(?)がありました。雨除けと思われるカバーが一部かかっておりましたが、使用することもあるのでしょうか。

 

三貴子とされながら謎多き神様、であるがゆえに惹かれ是非一度参拝したいと思っていました。

 そんな夜の国を治める神様を祀る神社は、ひっそりとした、しかし大切にされているよう感じられました。

 

 

余談ですが、月讀命については

戸矢学氏著「ツクヨミ 秘された神」(河出文庫)などにて考察が記されております。

 

川越 熊野神社

埼玉県川越市にある熊野神社へ行ったときの話です。

 

蔵造りなどが有名な埼玉県の観光地川越ですが、ここは寺社も多い地域となっています。

その中の1つであるのがこの熊野神社です。

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さて、熊野神社と言えば、三本足の烏が特徴的なシンボルとなっています。

この烏は八咫烏と言い、初代天皇神武天皇の東征の際、熊野国(和歌山県辺り)から大和国(奈良県辺り)までの道案内をしたという神話が語られています。 

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提灯や由緒書きなどにシンボルが描かれています。

また、当神社の主祭神伊邪那岐命となっていますが、現地の人々には「おくまんさま」と呼ばれ親しまれているようです。

 

 

 摂社には、厳島神社大鷲神社などがあり、

山を想起させる熊野神社・海を連想させる厳島神社・空を思わせる大鷲神社、と街中にありながら大自然を感じさせる境内であると思っています。

 

下の写真は厳島神社にある銭洗いの宝池です。

この池にて小銭を洗うと福銭となり財運を高められらとされています。

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 信じていなくとも一応やってしまうのが、やはり人間と言ったところでしょうか。

 

始まりの浅間神社

 

神社に対する興味をはっきりと持ち始めたのは、大学4年生の時です。

元々、自転車を走らせ自然のある場所へあてもなく向かうというようなことを楽しんでいました。そんな道中で納めた鳥居の写真ですが、これは高校生時代、7年前のものになります。

 

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写真を撮った理由は、ただ鳥居が紅く綺麗だったから、程度であったかと思います。

 今思えばこれが始まりだったのかもしれません。人は多かれ少なかれ、神社に何気なく立ち寄ることもあるでしょうが、当時の私もフッと引き込まれるよう境内へと踏み入りました。

静かで、大した物もない神社にどこか神秘的な空気を感じたのを覚えています。

 

この訪れから、神社への興味を持つまでには何年も間がありましたが、根本の趣向というのは変わらないものと感じています。

 

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浅間大神」と書かれた石碑です。

浅間神社は一般的に、木花之佐久夜毘売を祀っている為、 浅間大神はこの神を指しているのでしょうか。この神社にて両者を同一視しているかは分かりませんが、、、

 

特に名所でも無い地の神社でありますが、私の中では少し特別な神社となっています。

 

地元へ帰った際には当時のように寄ってみたいと思います。

 

伊勢神宮

2016年9月17日

伊勢神宮

 

三重県伊勢市にある「伊勢神宮」と言えば日本で最も格式の高い神社とされており、伊勢系神社の総本社です。一口に伊勢神宮と言っても皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)に分かれています。有名な天照大御神を祀っているのは内宮の方になります。

 

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 こちらは内宮の鳥居。内宮はナイクウと読みます。ちなみにこのシンプルな鳥居の形は「神明鳥居」と呼ばれていて伊勢系の神社の鳥居などによく見られる形です。

鳥居で一礼し先へ進むと橋があります。内宮外宮ともに同じような橋が架かっているのですが、内宮では右側通行、外宮では左側通行とされています。はて何故かと思って調べてみると、一説によると、手水舎(手を清める所)の位置に因ると考えられているらしい。外宮では手水舎が左側にあり、内宮では右側にあるためのようです。手水舎の位置が異なっているのは偶然か、意図があるのかは分かりません。

 

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写真は外宮の橋になります。左側通行です。

 

 

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写真は内宮の拝殿、厳かな雰囲気が漂っています。その先での写真撮影は禁止されているため、この位置からの写真です。 

 

実は私は内宮と外宮は同じ敷地内にあると思っていたのですが、行ってみると、駅から徒歩にて外宮へと辿り着き、内宮はそこから距離がありました。外宮からバスが出ているので移動は苦になりませんでしたが、驚きました。

 

内宮で祀られている天照大御神は、太陽神であるとともに天皇の直系の先祖、最高神であるとされています。岩戸隠れ等有名なエピソードがあります。

一方外宮で祀られている豊宇気毘売神は、あまり耳にしない名前です。トヨウケビメと読み、「ウケ」は食物のことを表しており、それを司る神様のようです。

 

伊勢神宮は内宮・外宮と合わせて、世界を照らす太陽と、生きていくための食物の神を祀る神社であるわけですね。

 

良いお参りでした。 

銀齢の果て

筒井康隆氏の小説「銀齢の果て」が面白いと耳にし、さっそく読んでみました。

 

増大した老齢人口を調整するために、国策で70歳以上の国民に殺し合いをさせる「老人相互処刑制度(シルバー・バトル)」が開始したというストーリー。

裏表紙に書かれた突飛な内容の粗筋に期待を込め読み進めていきました。

 

一定区域内で70歳以上の老人が、最後の1人としての生き残りを賭けて殺しあう「老人相互処刑制度」。様々な経歴を持ち様々な性格をした老人たちが武力・知力・財力と、アイデンティティをもって戦ってくこのバトルロワイアルが、一種シュールとも取れるような調子で描かれていきます。描写が生々しく現実的でありながら、暗くなり過ぎるようなこともなかったような印象を私は受けました。

 

さて、ストーリーこそ常識から逸脱したような内容ですが、背景となっている部分は現代の日本への問いかけでもあります。平成26年の日本の高齢化率は26%となっており、超高齢化社会の基準である21%を大幅に上回っています。この作品の舞台は近い未来の日本であると言えるでしょう。

 

老人という生物的な弱者に対する過剰な優しさ、保護が老齢人口の増大を招き、結果としてそれが害となっている、といことが作中で語られています。手塚治虫の漫画「ブラック・ジャック」にも似たような問いかけがされています。人を治すことで人口が爆発的に増え、その結果飢餓で人が死んでゆく。医者はなんのためにあるのか、と。

 

自然の摂理に反する人の手による過度な延命、保護に起因する社会の歪みと人間の倫理道徳とのバランス、、、長生きは善か悪かは永遠のテーマのように私は思います。

 

このような難問でありながら、やはり本編は所々笑いながら読めるエンタテイメント的内容になっており、このあたりの塩梅が作者の力量を表しているのでしょうか。

極めて非日常的なストーリーから問いかけられる極めて現実的なテーマの作品でした。

神社

あなたは神を信じますか?

 

なんて胡散臭い宗教の勧誘じみた台詞を大真面目に言うつもりはありません。よくよく、日本人は宗教には無関心であって、また、それはお酒の席であってもタブーとされているテーマだとは思います。しかし、ふと街を歩けば見慣れた神社がそこにはあり、お盆にはお墓参りに行くことが、私たちに疑問を抱かせる事柄ではないというのは、多く賛同頂けることではないでしょうか。

ところで、お寺と神社は、似ているところではありますが、お寺は「仏教」であり、神社がいわゆる「神道」です。これはご存知の方も多いかと思います。

 

私達の多くは、法事の際には、お寺を訪れてお坊さんの唱えるお経を聞き、お墓の前で祖先に、各々が思うところをありながら手を合わせる。そんな習慣から、日本は建前では仏教色が強い国とも言えます。しかし、おばあちゃんの家で、朝早く神棚にお酒を供えるおじいちゃんの姿を、懐かしい記憶の中に仕舞ってある方もいると思います。これは仏教ではなく神道に由来するものです。

 

前置きが長くなりましたが、今回はこの神社について、少し書いていきたいと思います。神を信じるとか信じないとか、そういった触れづらいことは私自身さして興味はなく、単純に「面白い」、ということを伝えたいがための記事だと思って気軽に流して頂ければ幸いです。

 

さて、神社には当然、神様が祀られているわけですが、その種類は非常に多岐に渡っています。大学受験を控えた高校生が多く集まる○○天満宮、は菅原道真を神様として祀っていますよね。これは人を神として祀った例であって、日光東照宮などもその例ですが、他のタイプとしては、実在した人物ではなく「古事記」などに出てくる神であったりします。

 

ここで神様を列挙していくことは出来ませんが、メジャーなところを挙げたいと思います。

・宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)-主に、稲荷神社で祀られており、いわゆるお稲荷さんです。豊穣の神様です。

・八幡様(ハチマン様)-主に、八幡神社で祀られており、八幡様とは応神天皇と言われています。厄除けや家内安全などの神様です。

天照大神(アマテラスオオミカミ)-伊勢神宮や、主に神明神社などで祀られています。天皇の祖先と言われています。厄除けや豊穣など、万能の太陽神とされています。

菅原道真(スガワラノミチザネ)-主に天神系の神社で祀られています。学問の神様として有名ですね。

 

実は、この4系統の神社で日本にある神社の6割以上を占めていると言われています。

ほんの少しでも何かを知っている状態で訪れる神社というのは、いつもと少し違って面白く感じるかと思います。

たとえば、ほとんどの神社には鳥居がありますが、鳥居は、神の居る神社と人間が暮らす俗界を隔てる結界の役割を果たすと言われています。これを知っているだけでも、鳥居をくぐるときに神秘的な心持ちになるでしょう。 こういった神社や神様のことについて分かりやすく記述した書籍は多く出版されているので、読みやすいものを1冊読んでみるとより神社を楽しめます。

 

神様の存在や、神の力を信じるかどうか、などそれ自体は現代の科学的見地に立てば否定されるでしょう。しかし、科学の時代より遥か昔、人々が見えない世界に立ち向かっていく心の拠り所として縋った神様と、それを祀る建物が今も残っている。。。そこに、遠い過去から確かに紡がれてきた歴史を感じることができ、ロマンがあって面白いと私は考えます。

神社の魅力に惹き込まれた方などは、ふと見かけた神社につい立ち寄ってしまう、なんてことも多いでしょう。

 

さて、ここまで色々とまとまりのない稚拙な文を書いてきました。簡潔に述べてしまえば、神社はこれだけ多く日本に存在しているのであるから、それらについて知らないより知っていたほうが、日々は以前よりちょっと楽しくなるだろう、というだけのことです。